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10
Mar

Yoshiの花街すれ違い懐古録 その⑤「おさらい会編&最終編」

皆様、大変ご無沙汰しておりました。実は小生も今回の震災に日本出張時たまたま東京、飯田橋駅構内におりまして遭遇しました。幸いにも何とか歩いてホテルに帰ることができましたが、それから数日の東京での余震・停電などの何とも言えない雰囲気はほんの少しですが体験させて頂きました。 それ以来、本当に被災地の皆様のご状況を思いますと言葉も出ず、ましてやこんな「おちゃらけた」ブログなど書けるような気持ちにはなりませんでした。月並みで恐縮ですが被災地の皆様には心より御見舞い申し上げます。実はこのブログでもご紹介しました小生の「親父様」の事業を継いだ長兄の東北工場が福島、二本松近辺にあり、原発の50km内地域でもあり大変難儀をしているとのことで、遠く離れたカリフォルニアにおりますが、本当に身近にこの大災害を感じておるつもりです。

そんな分けで、4月2日の蝶々夫人の本番前までにはこのブログも大体終えようと目論んでいたものが、本番後までずれ込んでしまったことお詫び申し上げます。震災当日より早2ヶ月を数え、漸く少々おちゃらけた文章でも、完結させなければとやっとキーボードに向かった次第です。

話は変りますが、4月2日(土)のサンタクララ大、リサイタルホールでの「蝶々夫人」の公演は、お陰さまをもちましてほぼ満席となり、大好評のうちに幕を閉じることができました。これも皆様のご厚情によるもので、この場を借りまして一座を代表し(勝手に代表するなと言われますが)、御礼申し上げます。私事ながら老松亭白奴演じる一幕のGoroも若干ドジも踏みながらも、何とかそれなりにこなし、ちょっとはお客様の笑いも(クスクス程度でしたが)取る事ができたように思います。友人に聞くと「あれ以上やったら、蝶々夫人が都蝶々か吉本蝶々になるで。あの程度でやめといて良かったぞ。」とのことでした。

また、お陰さまついでですが、この公演のある程度の成功の為、また関係者のご努力の結果、次回は9月9日(金)の夕刻、San Francisco Operaが初めて蝶々夫人を上演した由緒あるSaratoga市の「箱根ガーデン」においてFund Raising での演目として我々の蝶々夫人が再演されることが光栄にも決定されました。そちらの方ではDinner Showの形を取りますので、内容が少々圧縮され、1時間程度のショートプログラムとなり、また配役も若干代わって来ますが大方はオリジナルメンバーとなる予定です。

それでは宿題の「清元のおさらい会」の話ですが、要すればこれも清元を教える師匠がその旦那衆的弟子たちにスポンサーさせて清元を主として演じるDinner Showのようなものです。Yoshi青年も親父様に「会費」の祝い袋など持たされて一応「おさらい会」にいやいや、どきどきしながら出席しましたが、案の定Yoshi青年がどう考えても2廻りくらい以上は年上の年齢層の社長然とした方ばかりの御集まりではありませんか。やはり師匠の弟子である芸者の御姉さま方に案内され、丸い御座敷テーブルに着きましたが周りの恰幅の良い旦那衆連中との名刺交換も気が引け、身の置き場なく正座しておりますと、そこはそれ御姉さま連中がどんどんお酌をしてくれます。やはり、若いだけの取り柄でしょうか、立ち代り御姉様方々が御相手をして頂けます。いつもの様に、旦那衆の厳しい目線に耐えながら一杯やっておりますと、やおら三味の音が鳴り響き、一段高い舞台で綺麗どころの踊りと清元が始まるのです。「良かった。この旦那衆の清元を聞かされるのではないのだ。」やっと一息ついたYoshi青年です。同じ師匠の弟子と雖も、プロの芸者さん達の弟子が歌っており、それなりにShowの体裁が華やかでもあり、御座敷芸を見ている限りは旦那衆と話をする必要もないので何とか助かったと思うYoshi青年でした。でも清元の出し物が終わったところで、Yoshi青年はすすっとおトイレに行くような様子で消えてしまったように覚えております。

帰りの道すがら、今夜もえらい経験をしたが、それはそれとしてYoshi青年は普段やっているコーラスの発声と清元の発声はどうしてここまで違うのかと柳橋の袂を歩きながら物思いに耽っておりました。コーラスを含む西洋型の発声法は、声楽の専門になってくるとベルカントやリートや、グレゴリオ等の発声方法もありますが、いずれにしてもナチュラルなビブラートを許容しますし、また自然にビブラートが入る方が音に伸びがあるというか、排気量がセーブされ、省エネで音が伸びるようにも思います。ところが清元を初めてする日本型の謡曲はほぼノンビブラートの棒音というか、一本音です。コブシは必要でもビブラートは認めません。コブシとナチュラルなビブラートは全く別物です。Yoshi 青年は清元のお師匠さんに口稽古をつけて貰う時、いつも自然に出てしまうビブラートを注意されました。小生の勝手な比喩ですが、人間の発声装置を提灯に例えますと、ビブラートはある程度引き伸ばした提灯が風に揺れて上下に少々伸び縮みして自然に揺れる感じ。一方の謡曲は提灯を枠の大きさまで折り畳み、その折り畳んだ提灯を手裏剣の様に目的に向かって投げるような感じでしょうか?とにかく全く違うのです。西洋の方でも一時流行したブルガリア地方特有の女性のノンビブラートコーラス・地の歌というのを「芸能山城組」が主催してやっていらっしゃいました。これはビブラートという末尾音の装飾音を排除し、より土俗的な鋭角な和声(どちらかというと不協和音ですが)を実現したものでした。そう言えば、グレゴリオ的な宗教音楽も全くビブラートがないものもあったと思います。その方がより神秘的で鋭角的な和声になっているように感じました。まあ、ビブラートの話はさておき、清元の稽古の後に、コーラスの練習に出るとYoshi青年はテナーパートですが、高音がいつもよりすっとアタックできることに気が付きました。いつもよりかなり幅の狭いちょっと「雄たけび」に近いようなアタックでしたが、下から這い上がるような感はなく、ぽんと高音に手が届く感じでした。でもこの発声音が他の連中にピッチとは馴染まないのですね。良く言えば、テナーの中に「細川たけし」が一人混じっているようなそんな感じ。

いろいろ話があちこちに飛びましたが、これにて「Yoshiの花道すれ違い懐古録」の御話を一応終わらせて頂きたいと思います。 その⑤まで御付き合い頂き、ブログ執筆者としましては、喜びひとしおでございます。 このブログ自体はCommunity Operaが「蝶々夫人」を続きえる限り、多分続くと思いますので、また何か違う演題にて、御話をさせて頂けることが出来れば幸いでございます。

それでは皆様、御達者で。

文責 老松亭白奴