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27
Jan

Yoshiの花街すれ違い懐古録 その③「青二才編」

さて、Yoshi少年も大学を卒業し、親父様のコネもあったのか一応財閥系総合商社に潜り込むことができ、東京の独身社員寮(今はこれも既に死語かも知れませんね。)に起居することになりました。この時期の通勤がYoshi青年には一番辛かった。Yoshi青年には実はラッシュアワーの経験が東京に来るまで全くなかったのです。一応大阪のど真ん中に住んでおりましたから、大都会には違いないのですが、高校も・大学も郊外にあるものですから、いつもラッシュアワーの逆行きで、太平楽にも「何で皆同じ方向に行くのやろ?混んでいるのに。」と思っておったそうです。時代は昭和の50年代、高度成長期が終焉し、少々不景気になってきたとは言え、今の失われた○○年の時代とは違い、それなりに活気がありました。「ジュリアナ世代の花の女子大生の時代」よりは、もう少し前ですが、丁度「花のOL」が多く生息されていた時代です。実はYoshi青年、この苦しいラッシュアワーを乗り越えても、会社に行くのが一番嬉しかった。仕事をばりばりしたかったから?いや違うのです、自分の会社に近づけば近づくほど綺麗な女性が多くなるのです。そして幸運にも、自分のビルに入った辺りが一番綺麗で品の良い女性が多い。これは今から思えば大変恵まれた時代でした。女性の読者の皆様、気を悪くされないで聞いてください。実際そういう時代があったのです。要するに、会社の方針として、社員(男性)が社内結婚をしても問題ないような良妻賢母(これも死語ですね。)になるような女子短大卒の「事務職」(今で言う一般職)を毎年大量に採用されておりました。実際の事務はアシスタントと呼ばれておりましたが 今ではOA機器か、あるいは派遣の仕事になりそうな領域の仕事を彼女ら「花のOL」は黙々とこなされておりました。そして、「とにかく担当者を働きやすくするアシストをすること」が彼女らのモットーでしたから、そのまま家庭までアシストしてもらう(即ち社内結婚)ことになり易かった由です。

いやまた、かなり話しがそれました。このままでは「花街」ではなく「花のOL」の話ばかりになるので、話を東京の花街に戻します。その頃Yoshi青年の親父様は関東にも商圏を広げ、月のうちかなりの時間を東京に出張しておりました。ある日、突然(いつも突然ですが)神田の寿司屋かどこかに呼び出されて、「お前ちょっと清元習って来い。」と柳橋の清元の御師匠さんの名刺を渡されました。当時Yoshi青年は23歳くらいですから、「清元?それ誰ですか?」みたいな状況でした。もちろん、柳橋など行ったこともありません。上京一年ほどのYoshi青年は東京タワーさえ、まだ上ったこともないのに 何で柳橋の御座敷に上る用事がありますか。柳橋がどういうところか下記URLに簡潔に纏められております。どうぞ参照ください。

http://www.rikkyo.ne.jp/web/z5000002/p1000/03-ensyuu/03-ensyuu03/0303-1.htm

いつも結論しか言わない、結構怖い親父様でしたが、話が話しだけに分けを聞きますと、要は柳橋の「とある御師匠さん」のところで清元(人形浄瑠璃のバックにかかる謡曲と言えば分かり易いと思います。)を習う約束をしたのだが、関西からの出張のついででは流石に稽古に通うことはできない。よって息子を代理として行かせるから稽古を付けてくれという話になった模様でした。Yoshi青年は、少々パニックになりながら「でも、親父様が習わないなら意味ないでしょう?」というと「お前が、習ったことを教えてくれればそれで良い。」と無茶な話でしょう?でもまあ、素直なYoshi青年は絶対的権力の持ち主である(居なくなったなそういう親父像!)親父様に逆らえません。翌日夕刻、住所片手に初めて訪れる浅草の花街、柳橋界隈を歩いてみました。Yoshi青年にとっては何となく老松町に似た懐かしい趣があります。漸く清元の御師匠さん(何とか太夫とか言いましたが)の町屋を見つけ、狭い階段を二階に上がると、若干は想像していたものの、既に50から60歳くらいの会社のオーナー然とした叔父さん達が会社帰りのスーツ姿で胡坐をかいて自分の稽古の順番を待っているではないですか。若干23才のYoshi青年は場違い筋も甚だしく思え、「間違えました。失礼します。」といいそうになったところを、綺麗な声で奥の方から「あら、そちらにいらっしゃるのは○○さんの御坊ちゃんね?貴方のことは聞いていますよ。こちらへお上がんなさい。」と優しく呼ばれるもので、ふらふらと御師匠さんの前に参りますと、年の頃なら40過ぎ(アラフォーというイメージではありませんが)Yoshi青年の成れの果てである今の老松亭白奴翁の視点から言うと「小股の切れ上がった」いい女ということになるのでしょうが、青二才のYoshi青年はとにかく真っ赤になって、所謂「清元の口移し稽古」を叔父さん達の待ち順番を割り込んで始めておりました。稽古の後で、初老の稽古待ちの紳士軍団の目線が、いやにきつくYoshi青年を見ているのに気が付きましたが、本当に場違い筋の若造が入って来た割には師匠に大事にされていると思っていたのでしょうね?ああ怖わ! 今考えてみるとこの清元の師匠、親父様が結構入れあげていた方ではなかったかとも邪推してしまいます。確かに、芸者上がりの方ですから、客扱いは上手いし、言葉や動作などの所作全てが優雅でYoshi青年は、流石にお師匠さんを女性とは意識しませんでしたが、若干憧れて少々真剣に通っていたのかも知れません。そう言えば、Yoshi青年が実家に帰ったとき、母親が同席しているとき親父様は一切柳橋界隈の話はしませんでしたね。今思うとちょっと変? さて、次回は人生の最初で最後かも知れないYoshi青年の「茶屋遊びデビュー」と「清元のオサライ会」の御話をしたいと思います。

文責 老松亭白奴