Single Blog Title

This is a single blog caption
24
Feb

~バタフライ・ヤマドリという、イメージについて~

~~~第2弾はバタフライ・ヤマドリという、イメージについて書きました!ぜひ、公演にいらしてください~~~

蝶々夫人、ヤマドリ、は日本ブランドの中ではどんな位置づけか、という話題です!

さて、蝶々夫人、

バタフライと昆虫というテーマはどこから来たか?

インターナショナルにクラシックな表象文化をみてみると、昆虫(日本語)、インセクトinsect(英語)、インセッティinsetti(伊)というコンセプトは、西欧古典ではたいへん珍しいテーマです。エジプト等では動物の神様が登場しますので絵画化されたり、また詩にもあったのでしょうが、昆虫や自然が盛り込まれやすい日本文化はどうやって展開してきたのでしょうか?

ルネサンス以前~後のイタリアの画家・彫刻家達はダンテの神曲、神話、その後のイタリア文学に随分影響をうけている事に気づき、日本でも案外、一般に思われているより、文字文化が、歴史的プロダクトに影響をあたえているのではないかと仮定しました。テキストが一番シンプルに、意味的に公平に理解を促進するだろうから、案外多くの古今東西の作家は、古典的に淘汰されても残るような強いテキストに、多くイメージ源を負っている部分があるのではないかと考えるようになりました。

イタリアのルネサンスやキリスト教経由の、国際的に有名で重要な様々な様式、また多くの非西欧の様式やテーマは、どのように作られ、伝播したかに随分興味がある時期がありましたが、たいていこれらは美学や芸術学の範疇におさまり、音楽学で頻繁に、語られることはほとんどありません。しかし、私は声楽やオペラでは”詩”やテキストにしめる意味合いが大変大きいので、色々な歌やオペラのテーマというのは、具体的な言葉を持つ表象の分野と、各時代、もっと近い所にあると思います。

さて、大学でいろいろ調べていると、イタリアのルネサンス(ミケランジェロやダビンチ)の前に、文字をもってイタリアを統一したともいえるダンテ・アリギエーリがあり、彼の神曲(ディヴィーナ・コッメーディア)が、当時の文化人の教科書というか、勉強・解釈しなくてはならない大きな本であったこと、この物語の前にはトゥルバドゥールや、世紀末的思想、いくつかの神曲前にも、これらのいろいろな雰囲気のもととなる、多くの有名ではないが、詩人や物語が山積していたことがわかりました。その後ルネサンス、、フランス革命、産業革命と進んでこのような立地の欧米の中で、1900年代に日本のプロダクトが面白かったのは、自分たちに無い、文化体系があったからです。(ルネ・ラリックや、ガレなど宝飾家なども図案をとったりしたように、)

ここでジャポニズムがどのように目立つかというと、自然や、日本画や、徳川時代までの城内の屏風や襖や、狩野派などなどの装飾や工芸などに登場する、花鳥風月という題材や自然を愛するようなコンセプトです。それから、けっこう、平和的に映ったのではないかと思います。

さらに調べていくと、江戸時代に、城等に屏風を受注した豪族を喜ばせるために、狩野一派に代表される、屏風や城内に納める絵師達は、俳諧から、お題を頻繁に持ってきた事や、俳諧において、季語が重要であるようになったこと、がわかりました。(または中国の詩や、山水画など、自然についての中国の文化の影響もある)わたしは、詩において、季語(またはそのような比喩表現)が盛んになって、文字として残った事がジャポニズムの背景にあると思います。俳諧がなくても多くの当時の日本人は自然や動植物を好んだかもしれないが、俳諧はそれを助長し、そのようなオリジナリティを推し進めた要因であると思います。

俳諧から、テーマをとってきた事実については”日本美術の歴史”という有名な本にありますが比較文化的に考えて、イタリアでは、詩・ダンテ神曲・ルネサンス・聖書・神話というテキスト、日本では、色々な源氏物語などの物語に加えて、俳諧というテキストが、プロダクト作家(当時のインテリ・文化人・豪族?)に、具体的に影響を与えているといえます。

さて、一般にバタフライとはどのようなイメージでしょうか。儚くて(長寿ではなくて)、綺麗・妖艶です。昆虫が光や炎に群がる場面を怨念として表現する場合もあるくらい、(これは蛾なのでちょっとちがうかもしれないけど・・・)妖しい魅力もあると思います。日本ではさらに女性の幽霊とか、そういう物語が多いです。それにしても飛んでいる蝶というのは、ミステリアスなイメージがあり、ドラマチックです。

ルネサンスでは、ボッティチェリやダビンチなどで花が、空中に舞いおりて止まっているような技法が発明されましたが、これはエクスタシーとされます。こちらでは蝶は舞うのでこれと同じように、華やかで美しい瞬間のイメージを持ちます。天使も舞いますね。荘子の胡蝶の夢では、(紀元前の!)中国の蝶のイメージもありますが。

もっと、イメージ的に考えると、少し冒険的な見方もできます。ダンテの神曲というのは3部に分かれているのがこの時代のイタリアの作曲家などには常識的に知られています。地獄篇inferno、煉獄篇、天国篇、という様に作られており、一番初めに、ウェルギリウスとダンテがわざわざ一番下まで降りて言って、地獄の下からあがっていく構成になっていて、プッチーニは後にこれにあてはめて、オペラ外套・修道女アンジェリカ・ジャンニスキッキを書いているのですが、虫→サナギ→蝶になる、飛んでいってしまう華やかな蝶になるまでの3段階というのは、神曲を読んだことがある人にとっては、”神曲の3段階を容易に想像できる”のでロマンチックなことが起こりそうな天国での出来事というような(うーん、そもそも夢であるというようなマサユメのような)、ことまで、考えられますが、どうでしょうか。(それくらい、ダンテの神曲は、西洋の作家が自分で料理してみたくなる題材のひとつ)

このように、バタフライというのは表題として、詩に季語が反映されるような様式の一端を示していて、西欧であまり登場しない、はかない(sogno夢)、新しい、天使であって、ヒロインになりうる、印象的で、なおかつ、斬新なアイデアだったのではないかと思います。

下崎響子